【序章:三年後の大阪国際空港】

2017年10月30日、約60日のイタリア、マケドニア、ブルガリア、ヨルダンを巡る旅を終えて、大阪国際空港に降り立つ。 飛行機の中でiPhoneをシャッフル再生していたら、スピッツの「空も飛べるはず」が不意に流れてきた。
「君と出会った奇跡が この胸にあふれてる きっと今は自由に空も飛べるはず」
ぽつりと胸が熱くなった。あの時F氏にバイクを誘われなかったら、そしてジャンピエロと知り合わなかったら、こんな大冒険は、僕の人生に訪れなかったかもしれない。
「俺はいま、自由に飛んでるんだなあ」
そう思ったら、ちょっと涙が出そうになった(いや、泣いてない。ちょっと目頭が熱くなっただけだ)。
これからF氏に会うのだが
この浮遊感の正体を確かめるには、3年前にF氏と約束をしたあの日に戻るしかない。 それは2015年11月2日、あるラリー会場で交わされた、ちょっとした“約束”から始まったのだから。
ここから3年前にさかのぼろう
2015年11月2日 愛知県新城市
いやはや、運命の転がり方というのは、まるで整備不良の買い物カートみたいに予測不能だ。
バイク免許取得のきっかけ


全日本ラリー新城(愛知県)にラリーオフィシャルとして参加していた僕は、会場から札幌へ戻る道すがらラリードクターのF氏の車に乗せてもらっていた。
名古屋空港から直接札幌に帰らずに、まずは大阪神戸に遊びに行って関空から帰ろうと思ったのだ。
神戸方面へ向かう彼の車に空席があると聞いて、これは渡りに船と飛び乗ったわけである。 ところがF氏、ドクターという肩書きがありながら、帰路ずっと「バイク乗りましょうよ! 免許取りましょうよ!」と熱く勧誘してくるから、車内はもうセールストークの嵐。
実のところ、僕は30年近くバイクに淡い憧れを抱きつつ、「いや、もういい年だし」とかいろいろ理由をつけてフタをし続けてきた。しかしその日ばかりはなぜか押し負けてしまい、口からついこんな言葉が飛び出した。
「そこまで言うなら、取っちゃうか…」
我ながら軽い。軽いが、それが人生を大きく変える引き金になるなんて、このときは夢にも思わない。
運命の約束

さらに話はエスカレートして、僕はF氏にこう宣言してしまった。
「取るだけじゃない。バイクを買って、来年の新城ラリーにはバイクで来るよ。先生も忙しいだろうけど、病院休んでバイク来てさ再会しようぜ。」
相手は脳外科医。そうそう簡単に連休が取れるわけがない。それでもF氏は即答した。
「わかりました、やりましょう」
ああ、これはもう後戻りできないぞ。静まり返った…どころか、むしろ車内の熱はラリーマシンのように高まる一方。 僕は半ば呆れつつも、「これで30年の思いにケリをつけられるならいいか」と腹をくくった。勢いってやつは、ときに理屈を越える。
バイク免許なしオッサンの挑戦がはじまる

とはいえこの時点で、僕のバイク経験は“ゼロにうぶ毛が生えた程度”。マニュアル操作はもちろん、ニュートラルの入れ方すらわからない。そんな男が“来年は自走でラリー会場に登場”なんて、どうかしてる。
近所のツーリングの約束ではない。今はまだバイクも免許も無いのに、来年の秋に北海道から愛知のラリーに参加するためにバイクで旅をしようってんだ。
高速道路をひた走っているうちに、頭が少しクールダウンして「あれ、オレは無謀なことを口走ってしまったんじゃ…?」と不安になった。しかし不思議と後悔はしない。
30年間くすぶり続けた思いを、F氏が一瞬で火をつけた。その爆発力に身を任せるのも、悪くない。そうして僕の“バイク免許取得計画”は、闇雲にスタートを切ったのだった。
「どうせ社交辞令で終わらせてもよかったんじゃ…?」
と一瞬考えたりもした。が、例のラリー会場で泥と爆音にまみれたマシンを見てしまったら、もう日常に戻るのは難しい。勢いで約束して、勢いで走り出すそういうことがときどき人生には必要なのだ。
しかし、後悔はしない。何せ、30年間くすぶり続けたバイクへの憧れに、F氏の「取っちゃいましょうよ」という一押しが火をつけたのだから。勢いで押し切るのも、人生にはときどき必要だ。こうして私の“バイク免許取得計画”が、静かに・・・いや、かなり強引に動き出した。
実のところこの約束、ただの社交辞令として流せば良かったのかもしれない。だけど、人間、「どうせやるなら面白くしてやろう」と思い立つ瞬間があるだろう。あのラリー会場で、轟音と土煙をあげて疾走するマシンの姿を見たとき、そしてドクターの熱にあてられたとき、私はまさにそのスイッチを押されたのだ。
さあ、来年の新城ラリーまであと数か月。普通二輪免許を取るだけじゃ足りず、バイク選びまで同時進行で考えねばならない。と同時に、一人前のバイク乗りに必要な装備や、あれこれと出費も想像以上にかさむだろう。困ったことに心は浮き立つばかりで、世間的な“苦労”という観点がまったく目に入らない。
このまま行けば、来年の春には「バイクを手に入れ、Fドクターとともにラリー会場で再会」を、現実のものにしてしまいそうだ。もちろん、そこには笑えるトラブルも哀愁の落とし穴も待っているだろうけど、何とも言えないワクワクが背筋を上っていく。
もう後戻りはできない。さぁ次回は免許の前にやることがある!


お好み焼き

と考える大阪の夜